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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)2741号 判決

控訴人(原告) 中村定雄

被控訴人(被告) 船橋市農業委員会

原審 千葉地方昭和二六年(行)第一九号

主文

原判決をとりけす。

被控訴人(元船橋市農地委員会)が昭和二十六年二月七日船橋市馬込町九百八十一番地の一山林二反歩、同所同番地の二山林一反三畝歩についてした未墾地買収計画はこれをとりけす。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同旨の判決をもとめ、被控訴代理人は控訴棄却の判決をもとめた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否はつぎのとおりつけくわえるほか原判決の事実らんにしるすところと同一であるからこれを引用する。

(控訴人の主張)

控訴人の家族は控訴人およびその父母、弟の四名であつたが控訴人において昭和三十二年十一月三日結婚し、現在五名である。しかして本件土地を控訴人が買受けた昭和二十三年一月ころから現在まで一家の生活維持の唯一の方法として家族全員の協力で本件養鶏ならびに野菜等の栽培がなされて来た。その間控訴人の飼育しているのは鶏の数は最低百羽最高二百羽位で現在も約百五十羽である。

みぎ鶏の主な飼料は魚の臓物でこれをなるべく多量に鶏に食せしめ、よつてなるべく早く成長せしめ、かつなるべく多量に産卵せしめるにはかならずみぎ臓物を煮ることが必要である。このことは飼草についても同様で鶏にあたえるためにはこれを動力で押つぶしさらに煮ることが必要である。

臓物および飼草の一日の所要量は平均八貫におよぶのであつてこれを煮るためには多量の燃料を要する。このほか一家の炊事用の燃料も要するところこの燃料の要求を満すため控訴人は本件山林を買つたので、一般燃料が不足しかつその売買が統制されていた戦後数年間のごときは他にこれを求めようとしてもその方法がない位であつた。

本件山林には約七百本の松があり適宜にこれを間引き又はその枝を切りあるいは枯木、枯枝、落葉を集めて燃料としたので控訴人方では燃料の全部を本件山林に仰いだ。必要な薪をもし他から買いとつたと仮定すれば本件買収計画樹立の時なる昭和二十六年二月ころ以降少くとも月平均四千五百円を要した筈である。

控訴人一家は戦災により財産全部を失い本件山林を利用し養鶏を営みまたこれを耕作して芋類、豆類、野菜等を栽培しその収益または生産物により一家全員の生活をわずかに維持するしかなかつたのである。すなわち前記昭和二十六年二月ころ控訴人の養鶏による鶏卵鶏糞の売却代金月約三万円、現在では月約二万円で、前記のように燃料、飼草の全部を本件山林より取得し得たが故に魚の臓物代月五百円ないし千円、購入飼料(糠フスマ類)月七千円ないし一万円を各差引きその余の月一万二千円ないし一万九千円を生活費にあてることができたので、本件山林はまさに控訴人一家の唯一の生活資源をなしていたのである。

もつとも控訴人は昭和二十四年春獣医学校を卒業し同年十二月獣医を開業したが昭和二十六年二月ころはなお書生の域を脱せずほとんど無収入の状態であつたので事実控訴人自身もその一日の大部分を農耕養鶏にささげていたほどである。

みぎのとおりで本件山林は本件買収計画樹立の数年前から現在にいたるまで控訴人一家の生活の唯一の資源をなしその故にこそ一家の総力をあげてこれが利用に尽力し来つたものであるからこれを買収することは一家を路頭に迷わしめることになるのである。

本件山林は元来前所有者が費用と労力を投じてわざわざ植林したものであり、これを承継した控訴人もまた一般造林者同様の手入をして今日に至つたものであつて、当初から自然のまま放置された山林ではない。したがつてその植林は当初から周囲の畑にたいしなるべく日陰にならぬよう境界線から相当内側の場所になされたのであるが、その後十余年を経過した松が漸次成長したため、原判決のなされた昭和三十三年末ころには北側の畑に多少の日陰をあたえるようになつたことは事実である。しかし控訴人は前記のとおり本件山林の立木はこれを燃料にするつもりでいたのであるから隣地の迷惑となるならばそれを適当の高さに伐採することは少しも厭わぬところであり、場合によつては境界線に近い部分を全部除伐してもよい。しかるところ農業委員会の係員は控訴人にたいし本件立木には手をつけずそのまま存置するよう指示したので控訴人はこれに従い高くのびるままに放置して来たところ、原審において「本件土地に松の木が生育しているためにその北側の畑は冬時には日照時間が短くなる関係で凍結する状態にあつた」と認定せられこれが本件買収を適法とする一資料とされたのは控訴人の遺憾とするところである。控訴人はその後境界に近い部分の立木はこれを除却し隣地の日陰にならぬよう配慮したから現在においては前示原判決認定のような事情は存しない。

本件買収計画は、本件山林の隣接地の耕作者訴外工藤泰郷の申請により発足したもので本件山林は固より同人にたいしその自作農創設のために売渡さるべき筈のものであつたところ同人は現在はみぎ隣地までこれを他に売却し農業を放棄しているのである。しかも本件山林に接続する広大な山林(自然林)は一見開墾に適する広大な部分があるにかかわらず買収されない点からしても面積においてもとるにたらぬ本件山林を特に買収しなければならぬ必要性は認められない。

自創法第三〇条による未墾地買収の適法なるためにはその買収によつて所有者の生活が根本的に破壊される如きことがないことが必須の要件である。しかるに本件買収は控訴人一家の生活を完全に破壊するものであること、ならびに現状の存続が決して他の農地に悪影響を及ぼすものでなく、しかも特に本件山林だけを農地化する理由の認められないこと前記のとおりである。

本件買収計画の樹立は所詮違法たるをまぬかれない。

(被控訴人の主張)

控訴人の前記主張事実中控訴人の家族の数については争わない。本件山林が控訴人一家の生活の唯一の資源でこれを買収することは必然的に一家を路頭に迷わしめるとの事実は否認する。本件買収計画は当初訴外工藤泰郷の申請により発足したものであることは争わない。その他の事実はすべて不知。

申請により買収した農地であつても必しもその申請者に売渡すとは限らず他に農業に精進する見込ある者ら適格者に売渡して差支ないのであるから、かりに申請者が農耕を放棄した事実があつても本件山林買収処分の妨げとならない。

また控訴人は本件山林の附近に広大な山林があるのにこれをさしおいて本件山林を買収するのは不当であると主張するが控訴人の指摘する山林は傾斜地で買収申請もなく、また附近水田の水源地として必要と認められる等開墾に適しないものである。

(証拠省略)

理由

被控訴人が昭和二十六年二月七日控訴人所有の本件土地について未墾地買収計画を樹立したところ、控訴人はみぎ計画にたいして異議の申立をしたが棄却されたのでさらに千葉県農地委員会に訴願したが同年七月十八日訴願棄却の裁決があり、みぎ裁決書の謄本がそのころ控訴人に送付されたことは当事者間に争ないところである。

控訴人はみぎ未墾地買収計画は違法であるからとりけさるべきものであると主張するので案ずるに、控訴人の家族関係および控訴人が獣医を開業しているとともに養鶏業をも営んでいることは当事者間に争ないところである。

しかして原審ならびに当審証人中村定七、原審証人吉橋要吉、当審証人斉藤正久の各証言に原審における検証の結果をあわせると、控訴人の父斉藤定七は終戦前東京都内に土地家屋を所有しその利用による収益で生活していたが戦災により家屋を全部焼失し、船橋市に移住して今日に至つたこと、控訴人は終戦当時小学校代用教員であつたが昭和二十一年獣医学校に入学昭和二十四年これを卒業し、同年十二月から獣医を開業したこと、控訴人の家族は戦災によつて収入を失つたので船橋に移住してから養鶏業を営み控訴人主張のように常時百羽から二百羽以上を飼育して現在に至り、鶏卵、鶏糞の販売によつて一家の生計を維持していること、みぎ鶏を飼育するには控訴人主張のとおり飼料を作るため魚類の臓物や飼草を煮る必要があり、終戦後燃料の統制によつてこれを入手することに苦慮していたところ、昭和二十三年ころ偶然本件山林が売却されることを知り、地上に松が千本位あつて燃料の薪を得るため好適であつたから直ちに買受けたこと、この松の枝を伐採することにより鶏の飼料を煮るための燃料および家庭の炊事用の燃料の全部を得また、みぎ土地の周囲と西北隅の一部の土地を控訴人の家族らは開墾して麦類、芋類、豆類など二十二種類ほど野菜を栽培していること、控訴人の一家は控訴人の父定七は地方公務員であるが臨時職で一ケ月一万円以下の収入であり、控訴人は獣医を開業したけれどもこれによる収入に頼ることができず、本件土地以外に不動産その他の財産なく、終戦直後はもとより、本件買収計画が樹立せられた当時を通し現在にいたるまで控訴人を中心として家族全部でみぎ養鶏業に従事し一家の生計を維持していることをそれぞれ認めることができる。

みぎの事実によると、本件土地は一部開墾せられた部分を除いては、農地あるいは牧野とはいえないけれども控訴人の営む養鶏業には欠くべからざる土地であり、控訴人はみぎ養鶏業により生活を維持しているのであるから、本件土地はけつきよく控訴人の生計維持に欠くことのできないものといわざるを得ない。

しかして自創法による未墾地買収が適法なためにはその買収が自作農を創設し又は土地の農業上の利用を増進するため必要がある場合でなければならず、その必要性は買収手続を行なう所管農業委員会の自由裁量行為であるがその認定に明白な不当が存するときは自由裁量の範囲を超えた違法の処分としてとりけしを免れない。しかして本件のように目的の土地がその所有者である控訴人の生計を維持する必要欠くべからざる資源をなし、これがない場合はその生存に重大な支障を与えるような場合は、特にこれを犠牲にしても買収を必要とする事情があれば格別、そうでない限り、自作農創設の目的を逸脱して裁量権を行使したものとして買収を違法となすべきものである。

前記証人中村定七の証言検証の結果、原審証人竹之内昇、同石井隆雄の証言の各一部によると、本件の土地の東側、北側および西側の三方は畑にかこまれており、本件土地には松の木が生育しているからみぎ松を成長するままに放置しておけば北側の畑は冬時には木の蔭が深くなり、凍結を来すおそれがあるけれども、控訴人は本件土地を造林の目的でなく薪炭を得るために買受けたのであるから北側の松の木はこれを適当の高さに伐採して畑に日蔭を作らぬよう処置し得るものであり、かつ、本件買収計画樹立された昭和二十六年二月ころは松の成育状態も現在より小さくしたがつて北側の畑の日照に差支えないようにすることは控訴人にとつて容易であつたことを認めるに十分である。その他みぎ買収計画樹立当時から現在まで本件土地を現状におくことが周囲の農地の利用に特にさまたげとなるような事情を認められないし、また本件土地を開墾して農地となすことが近隣の農地の利用のため必要とするような特段の事情を認めることもできないのである。

そうすると本件土地のうち現況山林の部分は未墾地として買収する必要性がないこと明らかなものというべく、したがつて開墾された部分も自創法第三十条第一項第三号により買収することができぬわけで、けつきよく本件買収計画の樹立は違法としてとりけしをまぬかれないものである。

よつてこれと反対の原判決をとりけし、すでに樹立された本件買収計画をとりけすこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野威夫 谷口茂栄 満田文彦)

原審判決の主文、事実および理由

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告(元船橋市農地委員会、以下同じ)が昭和二十六年二月七日船橋市馬込町九百八十一番地の一山林二反歩、同所同番地の二山林一反三畝十歩についてした未墾地買収計画は取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求の原因として、

一 被告は、昭和二十六年二月七日自作農創設特別措置法第三十条第一項により、原告所有の船橋市馬込町九百八十一条の一山林二反歩、同所同番地の二山林一反三畝十歩(以下本件土地という。)につき、未墾地買収計画を樹立した。そこで原告は同年三月九日右買収計画につき千葉県農地委員会に対し訴願したところ、同委員会は同年七月十八日右訴願を棄却する旨の裁決をし、同年八月一日その裁決書の謄本が原告に送付された。

二 原告は獣医を営むかたわら養鶏を業としているものであるが、買収計画樹立前から本件土地の一部約六畝五歩(別紙図面斜線の部分)を耕作して鶏の飼料となる雑草を栽培し、その余の部分は営業用ならびに家庭用の薪の採取地として利用しているものであつて、原告は本件土地以外には土地を有せず、本件土地を利用することによつてかろうじて生計を維持しているにすぎない。かように所有者みずから開墾耕作している土地を買収することは農地法の精神に反するものというべきであるから、被告の本件買収計画は違法として取り消されるべきである。

と述べ、

被告主張の事実に対し、原告が本件土地の収益によつて生計を立てているものでないこと、本件土地の利用目的が林木育成にあること、および本件土地が周囲の畑地に悪影響を及ぼすことは否認する、本件土地の周囲は開墾されて畑となつているから、周囲の畑地に対する影響は極めて少い、なお、自創法第三十条第一項第三号により買収しうる農地とは当該買収農地自体をも他種の農地に開発するのを相当とする場合に限られるものであつて、本件のように所有者みずから耕作している農地は含まれない、と述べた。

被告訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、次のとおり述べた。

一 被告は昭和二十三年八月二日原告所有の本件土地につき未墾地買収計画を樹立したけれども同計画に欠陥を発見したため、昭和二十六年二月七日右計画の変更の議決をしたところ、原告から異議の申立があつたが被告はこれを棄却する旨の決定をした。原告は更に千葉県農地委員会に訴願したが、同委員会は昭和二十六年七月十八日右訴願を棄却する旨の裁決をし、その裁決書の謄本はすみやかに原告に送付された。

二 原告は獣医を営むかたわら養鶏を業としているものであつて、農耕を業とするものではなく、本件土地の収益によつて生計を立てているものでもなく、本件土地には約十五年生位の松が生育しており、林木育成を主たる目的とするものであつて、薪の採取地として利用しているものではない。

三 本件土地の周囲は東南の一角を除きほとんど畑地であるから、本件未墾地は、農地として開発するのに適しているばかりでなく、山林として存置するときはかえつて周囲の畑地に対し悪影響を及ぼすものと認められる。なお、本件土地の一部は原告が開墾して耕作しているが、この部分は自創法第三十条第一項第三号により、その余の部分とともに開発するのが相当であると認められたので本件買収計画中に組み入れたものである。したがつて、本件買収計画には何ら違法な点はない。

(証拠省略)

理由

被告が昭和二十六年七月七日原告所有の本件土地について未墾地買収計画を樹立し、原告は右計画に対して異議の申立をしたが棄却されたので、更に千葉県農地委員会に訴願したがこれまた同年七月十八日棄却の裁決があり、右裁決書の謄本がその頃原告に送付されたことは、当事者間に争いのないところである。

原告は右未墾地買収計画は違法であるから取り消されるべき旨主張するので考えてみると、原告は獣医を営むかたわら養鶏を業としていることは当事者間に争いのないところであり、証人吉橋要吉および同中村定七の各証言を総合すれば、原告方においては戦時中から鶏を飼つていたが、東京に有していた貸家も戦災により焼失したため、戦後は養鶏によつて生活を立てることとしてこれに取りかかつたのであるが、当時は食糧事情も逼迫していたのみならず、鶏の飼料としていた魚の臓物を煮る燃料ならびに炊事用の燃料に不自由を感じていたところ、たまたま約五尺位の松の木が生育していた本件土地が売りに出たので、主として燃料をうる目的で昭和二十三年一月頃これを買受けて薪をとり、他方食糧事情も悪かつたのでその西北隅の一部と周囲を開いて野菜等を栽培し、昭和二十四年原告が獣医学校を卒業してからは鶏や家畜の飼料とすべき草はどのような種類のものが適するかを研究するためにもこれら開墾した土地を利用していた事実が認められる。しかしながら、証人竹之内昇、同石井隆雄および同吉橋要吉の各証言ならびに検証の結果を総合すると、本件土地はその東南部は山林に続いており、東側、北側および西側の三方は畑にかこまれているが、本件土地には松の木が生育しているためにその北側の畑は冬時には日照時間が短くなる関係で凍結する状態にあつたのみならず、原告が松林を切り開いて野菜等を栽培していた部分は西北隅の約二畝を除けばほとんど畑というまでには至らなかつたことが認められる。右認定に反する証人中村定七の証言は信用しない。

以上の事実からすれば、原告は本件土地の買収によりある程度の不利益を被ることは想像するに難くないが、本件未墾地買収計画を違法であるとするには不十分であるから、結局被告のした右買収計画は相当であるというほかはない。

よつて原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和三三年一一月二九日千葉地方裁判所判決)

(別紙図面省略)

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